遍吉のブログ

徒然なるままに

階段

大人の階段のぼーるー

 

ですな。

 

最近、お喋りしてて、思い出しましたが、ミクロの世界では、全ての現象は非連続。

しかし、マクロな世界ではひとつなぎとなってる矛盾。

 

ざっくり言うと、今この瞬間が、非連続であると仮定するのであれば、この瞬間に自分という生命が生まれた。大きく言えばこの瞬間に宇宙が生まれたということですわ。

 

よくわからないですよね。

 

わかります。

 

だけど、ミクロの世界では、これが真なのです!

否定することはできません!

 

じゃあ、なぜ、連続的な記憶が存在するのか?

等々の疑問が生じるでしょうが、自分で思索してみてくださいましー。

 

とりあえず、階段式にしか生命は存在しない。ということが言いたかっただけですわ。

 

人間の成長も瞬間瞬間にあると見るのが筋ですな。突如、豹変するのです。

その瞬間に変わってるのです。

連続的な成長なんてミクロに見ればなく、マクロで見れば、プロットしたものに過ぎないという事実!

 

あー。

 

何が言いたいかというと、とりあえず、仕事が一つ片付いて安心したということだけです。

 

そのための導入が、意味不明ですみません。

論理的に展開しようとしたら、本一冊になる勢いなので、やめました。

 

なんとなく間は考えてください。

皆様は須らく天才ですので、わかるはず!

 

考えないだけで、考えれば大抵の事象は理解できます!

 

 

 

 

頭の良さ

私が、人の頭の良さを見るときの判断基準の最初のフィルターは、

人の話を聞けるか

で、

その話を受けてどう、情報を処理するか

そして、その速さをみます。

 

人の話が聞けないのは問題外ですな。

次に処理の話ですが、

ここからが難しい。

自分の経験から単純に否定しかしない人間は、だめですね。頭が悪いというより、処理することから逃げてるか怠け者か自分には分からないし、分かろうとしないから、否定という結論となる。

 

先を見通し、自身の立場や経験からの建設的な考えを返してくれるひとは、情報処理能力に優れてるとみます。

 

しかも、その返しをより早く出来る人は最高ですね。

とても、話しやすい。

 

つまり、わたしの判断基準は、人の話を聞けるかどうかだけですわ。

人の話ほど、複雑なものは、ないですからねー。

そこには、色々な要素が入ってきますので、まさに多次元関数。

読み取れる人間すげーーってなりますよ。

 

特に落ちはないのですが、世の中、人の話を聞けない人間で溢れてるという事実だけは、知っておいた方が良いですな。

 

以上

冬季鬱病

季節性の鬱病

 

これ、絶対エネルギー不足が原因だわ。

寒いのがあかん。

寒いというだけで、意識がそちらに向く上、エネルギーの消費が半端ない。

 

エネルギーが消費すると、何を求めるか?

睡眠と食事

 

冬季の鬱病は、

過食と過眠を伴うと見えたり。

 

ということは、沖縄に住めば、年中陽気にいられるのであろうか。

 

まあ、いいや。

冬は食って寝ることを第一優先に据えることが健康の秘訣!

極論、冬に働くことは自然の法則に反しているのではないかと思う今日この頃。

 

つまり、冬に働いたら、負け

 

というのも極論か

一日中

寝てました。

みんな元気良すぎてびっくりします。

 

 

こんだけ人が溢れてる世の中で、外に出て人に会い、テレビを見て情報を得て、インターネットで情報を得て、音楽を聴き、運動をする。

 

ハードディスクパンパンになるっしょ。

みんな頭おかしいと思ってます。

多分、疲れすぎて麻痺してるんだと思います。

皆さんは、ゆっくりしてください。

 

月曜日から金曜日まで、働いただけでも、結構クタクタです。

土曜日、日曜日くらい、ゆっくりしましょうよ。

 

自分の中では、感覚的に疲れが麻痺してるときは分かるようになりました。

常人の情報処理能力しかなくなり、かつ、考えがクルクル回り決断能力が低下する。

こうなったら、だいたい仕方ないので、フラフラしながら、色々決めてます。

8割方大丈夫なんですが、絶対という確信が持てなくなります。

 

疲れがないときなら、俺の言うことに間違いが、あるわけねーだろという、アホみたいな強い気持ちがあるのですが、人間疲れると弱気になるものです。

 

弱気な自分に打ち勝つために、寝る!

怠けてるわけじゃないのですよ。

 

季節的にも冬だし、布団の中に入ってたいですよね。

 

あー

本当さむ。

今日は誰とも喋ってないので、月曜日はきっと声の音量調整が上手くいかないパターンやわ。

 

寒いので、また寝ます。

明日は、元気になってると思うので、掃除をパリパリやります。

結構、綺麗だし1時間もありゃ終わるよな。

 

その後は、ピアノと読書でもするか。

文章にしてみると割と優雅な人物やな、

なんて上品なんや!

 

京都の言葉でも覚えてみるか。

それとも、イギリス英語?

 

上品な性格なんだが、生まれた場所がスラムみたいな土地だったので上品な方向へシフトできない自分もいる。

 

しかし、相対する二元もまた、全て真なりと言い聞かせて、上品、下品を使い分ける。

 

便秘気味だし、トイレに引きこもってみるかな。

谷川先生に俺はなる!

 

詩人にはなれませんが、

ロッシーみたいになるのが今の目標です。

てか、まだ、3ページくらいしか読んでねーけど、ロッシーに俺はなる!ってすごく思いました。

永遠の都って小説ですわ。

 

ロッシーはとても上品で優雅で、強い人物なんだと思います。3ページしか読んでないけど、そう確信しました!

 

まだ、ロッシーという名前すら出てません。

本当に、この少年がロッシーなのだろうか。

 

明日続きを読もう。

 

おわり

猫を飼おうと思います。

 

毎日7件ほどアクセスいただきまして、ありがとうございます。

どなたかは存じ上げませんが、物好きであることに間違いございません。

 

腹が減ってるため、今日はこれくらいで。

 

腹が減ったという言葉しか出てこない。

お腹が減ったということに、意識が向いている。

こういうときは、集中力にかけるもんですわ。

 

しかしですよ!

お腹になにもないということは、脂肪を使ってカロリーを出すということです。

つまり、お腹がすいてるときに勉強すると、痩せる。

勉強する必要はないが、頭を使うと結構なカロリーを消費するもんです。

 

基本的にあまり頭を使いたくない人間なのですが、この日だけは使わないといけないという日に限り、一日、6食くらい食って、働いてます。

 

お腹がすいてることに、意識が向いちゃうと、集中して取り組めない、かつ、エネルギー不足に陥るためです。

 

エネルギーの効率的な摂取方法はチョコレート、饅頭、コカコーラですな。

最高です。

 

ここから、逆に展開

 

しかし、今は寒いので、ぶっちゃけ、コーラは飲みたくない。

 

つまり、カロリーを摂取しない。

ということは、あまり働いていない。

 

ということは、人間は本来、冬に働くべきではないのでは?

という疑問が生じる。

 

私は冬に働くのは、体に良くないと思って、そんなに働いてないです。

てか、危険です。命を縮めます。

人間、そこそこ暖かい時期に働くべきです。

 

なんか、言い訳みたいになりましたが、

こんな寒い時期に働いてる生物なんて、そんなにいないっしょ?

 

人間も冬は引きこもってぬくぬくしてるのが、一番だと思います。

命を縮めるので、皆さんもコタツで丸くなりましょう。

 

間違っても働かないで下さい。

働いたら負けです。

働かないことが、生物としての勝利なのです!!!!

 

なんか、すごい言い訳しちゃったなー。

 

とんかつでも、食ってくるかな。

勝つために!

だいぶ疲れもとれたので

思考の整理を行おう

 

 

シラーの哲学をまとめると

美と理を共に伸ばすことが重要

 

美とは人間本来備わる自由な精神

つまり、現象として究極のところは、生として存在を始めた瞬間の精神か

理とは、後天的に得られる経験、知識に基づく自己の規範といったところか。

これは、学が根本、学には師が必要。

ということは、人間誰しも何らかの師を抱き学を修めている。

現実には、メディアという師匠を多く抱く人が多い。あるいは、自己に内奥する我の精神を規範としているかだな。

 

美も理も、根底は善なるものを基とすることが、人間として高みを目指す上では肝要。

では、善とは如何

 

なんらかの定義するしか、ないだろう。

それは、人間中心主義とするのか、自然中心主義であるか等の議論が必要である。

この辺話し出すと止まらないので、簡単に生命中心主義こそが、直道と定義する。

 

生命中心主義ありきの

美と理である。

 

ここで、

理→利へと昇華を試みる

これは、対称性の自発的な破れに近い精神か。

理のみの究極は円。つまり、究極の対称性。

 

理のみでは、利他の精神は育まれないため。

自己のみ真実に、行き着く先に何があるのか?

多分何もない。これは直観に頼る。

この辺は、そのうち、整理する必要ありだな。

今度まとめよっと。

 

その前に理と美を引き出すには、如何という議論が、必要か。

この辺は美的教育の論文に、詳細を書いてるし、いいや。天台の観念観法と同じだな。

一般には、難し過ぎてできないだろう。究極的にはできないと思ってるだけで、誰でもできる。簡単にいうと、人間の心は一瞬で三千種類もの、想念がありそれを全て観じろというだけ。人間は、コンピュータに譬えるとcorei3000という、あり得ないほどのお化けコンピュータですよということを理解して、一瞬で処理してみなっせという話。この辺が難解難入たる所以か。みんな頭の良さ悪さとかいう尺度に惑わされて余計に理解できなくなってるしなー。本来人間の頭の良さというものは、変わらないはずなんだがな。なぜこうなった?これは教育制度と古くは階級制度が所以か。俺から見たら全員、世間でいう天才なんだけどなー。それにみんな気づいてないという事実。しゃーなしやで!

 

ただし

処理はできないことはないが、疲れてると駄目ですな。これは、本当に。疲れとは?

人間と人間の関わりによる疲れがでかいとこか。この辺説明するには長くなりずぎるし、意味分からなくなると思うので割愛。

 

とりあえず、ここまでのまとめ

生命中心主義による利美善の追求こそが、人間を人間たらしめる究極の何か。

そのために、具体的な修行法は二元論的に全てを追求。

追求の果ては

円による、無限ループ

 

 

 

 

 

 

続く

電子ピアノ

買いました。

 

マジ頭おかしいわおれ。

 

どーしよー。

 

とりあえず猫踏んじゃっただけ

ひいてみましたわ

 

あとは‥

弾けない。

 

今度の日曜日から、教室に通います。

頑張ります。

 

飽きないように!